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プロフィール

初めまして!ブログへお越しいただきありがとうございます。

趣味で始めたブログももう既に10年経ちました。過去のブログはインターネットのどこかに置いてきましたが、文書を書くのが好きなので、このブログで役に立つ情報をシェアできればなと思います。

簡単に自己紹介をさせてください。

生い立ちについて

僕の生い立ちを書いていきたいと思います。

女4人兄弟の長男として産まれる。

姉・僕・妹・妹

 

特に姉には頭が上がりませんでした。

冷蔵庫にプリンを隠しても姉に見つかって食べられてしまい、さらに奥に隠してもすぐ見つかってしまう。

「毒」と書いておいても「そんなわけないだろ」と一蹴されてしまう。少し知恵をつけてよく遊びにくる親戚の名前を書くようにしたら一時期だけ食べられなくなりました。

このようにしてトライ&エラーを覚えた子供時代でした。

現在のチャレンジ精神と軌道修正はこのとき学びました。

失敗からこそ学べ。ですね。

僕を育ててくれた親

父親は地元の消防官で24時間働いたら2日間休みというサイクルだったため、ほとんど家にいるか田んぼの作業をしてるか遊んでいるような人でした。

父親からは数多くの遊びを教えてもらい、その遊びに対する姿勢が僕の人生に多大な影響を与えたと思います。

 

母親は専業主婦をやりながら、ちょこちょこバイトをしていました。

子供が大きくなって手が離れると社交ダンスをやって優勝したり、六本木のマハラジャに踊りに行ったり、海外旅行に行ったりして人生を満喫していました。

 

父親と同様、人生を楽しむ姿勢を見せてもらったのはとてもよい勉強になりました。

 

その結果、人生は楽しいものだ。

面白おかしく生きるには体力と訓練が必要。

ということを学びました。

 

学校

小学校 徒歩2分でサッカーをやっていました。

中学校 自転車で中学校に通い、時間があれば釣りばかりやっていました。

高校  バイトでターンテーブル買ったりクラブに行ったりしていました。空手も始めました

 

18歳、オーストラリアに行く

高校を卒業してからの進路は特に決めていませんでした。

なんとなく英語ができたらかっこいいなと思ったのと、いろんな国を見てみたいと思ったのでオーストラリアにワーキングホリデーで1年間行きました。

現地では友達の家にホームステイさせてもらったり、日本食レストランでバイトしたり、現地でできた友達の農場を手伝ったりしました。

幸いなことに、日本人と話す機会があまりなく、英語を飛躍的に学習することができました。

 

暇な時はサーフィンはやらずにスケボーばかりやっていました。

オーストラリアはスポーツ・健康大国なのでみんな良い体をしていました。僕はすごく細かったので全然モテませんでした。

フィジカルな強さが必要、とオーストラリアで学びました。

陸上自衛隊に入隊

帰国後は日本の役になる仕事がいいなと思い陸上自衛隊に入りました。

自衛隊の入隊条件は「日本国籍を持っている18歳から27歳」でした。

僕が入った当時はそこそこ景気も良く、簡単に入隊できました。

 

僕の同期は元暴走族の総長、元借金取り、心機一転入隊した引きこもり、洗濯機の使い方を理解できない人、ヒモ生活してたバンドマンなどなど多種多様な人たちとの共同生活で喧嘩もたくさんありました。

しかし、そんな彼らとみんなで困難を乗り越える訓練生活は想像を絶するほど楽しかったです。

 

訓練では、自動小銃の取り扱い、戦闘訓練、地図の読み方、通信機器の取り扱い、敬礼などの基本教練、掃除、アイロン、周辺国との国際関係、防衛論、チームワークとは何かを同期と共に徹底的に学びました。

教育隊では制服を着て外出が義務付けられていました。当時の彼女と制服でデートしたのは良い思いでです。

関連記事:自衛隊で習った靴磨きの方法

自衛隊の英語通訳になる

僕は英語が得意だったので3ヶ月の教育を経て米軍基地の中にある駐屯地勤務になりました。

配属先では米軍との訓練調整や、中隊長の通訳をしました。

陸上自衛隊こそ自分の天職と心から信じていましたが、残念なことに訓練中に激しい頭痛にやられ気づいたら目の神経がやられていました。

しばらく通院しましたが、若い時の焦りもあり退職を選択してしまいました。

自衛隊の英語通訳になる方法

引きこもり生活へ

自衛隊を辞めて実家に帰ってからはこれからどうしたら良いのかという想いからほとんど引きこもりのような生活を送っていました。

1年間ほど働かずに家でゲームをしたり、本を読んだりして過ごしました。その時やっていたPCゲームで設定ファイルをいじると強くなれることを知り、いろいろいじりすぎてパソコンが壊れてしまいました。

パソコンを自分で直すことでパソコンの知識が付き、どうしたらサーバーにばれずに強くなれる設定を入れられるかを試行錯誤した結果、パソコンに興味を持ち地元の安月給のIT会社に就職が決まりました。

>>本大好きな僕が「寝食を忘れるほど面白い本」をお勧めしまくります

サーフィンとの出会い

ただやはり自衛隊への思いは消えず、生きている意味って何だろうとひたすら考え放送大学の哲学科に入学もしました。

同時期に始めたサーフィンをしているうちに、昔のことより今を楽しめばいいんじゃないかという風に考えを持つに至り、そのころからようやく自分の人生をコントロールできるようになって来た気がします。それからはサーフィンに夢中になり、毎週末サーフィンの練習をしていました。

>>サーフィンとの出会いで自分の人生がどう変わったか

仕事を辞めてバックパッカーになる

24歳の時に会社を辞めてバックパッカーとして半年間アジアの12カ国を旅しました。費用は40万円掛かりました。

一人で旅を成し遂げたことでものすごい自信が付きました。

それと同時に幸せは分け合わないといけないんだということが分かりました。また日本を客観的に見れたことでどういう風に振舞えば幸せかというのを若いなりに発見したと思います。

また、世界中の誰とでも仲良くなれる感覚がこの時身につきました。

インドネシアでサーフィンをした時に観た自然の壮大さは今でも目に焼き付いています。

 

外資系での仕事

再就職はまたIT会社に入りました。

外資系の会社に派遣されてそこで初めて外資系の雰囲気や厳しさを知りました。

きちんとJob descriptionと言って仕事内容が定められているので「それは私の仕事ではありません」と堂々と言えること、スキルを付けて転職先に引っ張られるという概念を理解しました。

たまたま正社員だったというだけで年上や外国人の部下を5名ほど持つことができ、人を使うことの難しさ、人間は好かれないと言うこと聞いてくれないんだってことを心から理解しました。

人間関係は難しいですが、面白いですね。

妻と世界一周旅行へ

28歳まで働き退職後、妻と結婚を機に世界一周旅行に行きました。

パートナーと旅をするという最高の経験ができました。一人旅ではないので無理はできませんでしたが、食事やきれいな景色を分け合えるというのがとても大切なことだったと今でも思います。

旅は8か月に及び、喧嘩やトラブルはたくさん起きました。また夢の一つでもあった世界中でサーフィンするということが叶いました。

アジア・中東・ヨーロッパ・中南米・北米と全ての地域を回りました。

帰国後に「Surf Trip Journal」という雑誌で昔のブログ記事から転載という形で記事を提供しました。

娘産まれた。可愛すぎ

帰国後は千葉にアパートを借りて生活が始まり、待望の娘が産まれました。

自分の子供って本当に可愛いです。この子は自分の分身なんだと強く思い他人とは思えないほど可愛がるようになってしまいました。要するに親バカですね。

わからないことだらけでもがきながら子育てをしています。

「子供とサーフトリップなんて行けたらほんとう狂っちゃうよ」とアドバイスされたので、狂っちゃうほど一緒にサーフィンしたいなといつも思っています。

子供が喜んだおすすめのオモチャ一覧

やっぱり仕事より遊びが大事

僕の中では収入や社会的地位は大事でなく、圧倒的に遊ぶ時間のほうが大事です。

仕事は定時で帰れるのを優先に選び、いつも17:30には帰っています。

それに、会社でもらう給料より、自分で稼ぐお金の方が好きです。

仕事で達成感ややりがい、または振り込まれた給料を見るのが楽しみな人もいるかもしれません。

しかし、僕の場合は仕事以外にもサーフィンで上手だねと言われたり、格闘技で強くなったなと言われたり、振る舞う料理がとてもおいしいと言われるほうが大事です。

もともと物欲があまりなく生活費くらいしかお金が掛からないので、後輩なら奢ったり、交際費や誰かのためにお金を使うようにしています。

あとは本が好きなので、本代だけはケチらないようにしています。

食いっぱぐれることなく、惨めにならない程度に稼ぎ続ける。これが僕のスタイルに合った働き方なのかなとこの年になって分かってきました。

無理してもしょうがないし、忙しかったらお金使えないですしね。

 

食っていくために資格も取った

僕はビビりなので、万が一失業したときに困らないようにFP3級の勉強することでお金の知識を身に着けました。

おかげで、社会保険の仕組みや無駄な保険に入らずに済むようになりました。

さらにすぐ仕事が見つかるように第2種電気工事士の免許も取りました。ブラジリアン柔術の青帯も取りました。寝技に持ち込めばこっちのもんという自信が付きました。

英語は自分の人生を助けてくれたので、英語を学ぶことはコスパが良いです。

>>元陸上自衛隊通訳がオススメする英語の勉強法

生きてきて分かったこと

僕はやはり人生は遊ぶべきだと思っています。

会社の目指すところと、自分の目指すところは必ずギャップがあります。

だから人生の棚卸を定期的に行い転職や部署移動をしつつ、みんなを幸せにしてかつ自分の人生を豊かにする方法を常に模索するのが重要じゃないかと思っています。

>>人生でやりたい100のリスト

また、もちろん「その為」という下心あるわけではないですが、ストック型に人生を考えると、家族や友人を大切にすること、仕事や仲間との信頼関係などそういった部分の重要性が浮かび上がります。人との長期的関係が大切になって来ると思います。

 

そのヒントになるものを当ブログで見つけていただけると嬉しいです。

そういった情報を発信していきたいと思います。

 

どうぞよろしくお願いします!

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