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親父のライトニングボルト・サーフボードをもらったので親父のサーフィンエピソードとか【ビンテージ】

ライトニングボルト

こんにちわ

 

親父からビンテージのライトニング・ボルトをもらったので修理して乗ってきました。

親父はもうそろそろ70歳間近。サーフィンしていたのは40年前のこと

40年前のサーフシーンはどんな感じだったのか、父親になるとはどういうことなのか

この記事では、サーフィンと感情面から記していきたいと思います。

  ライトニングボルト

↑実家の屋根裏に保管されていたライトニング・ボルトサーフボード。

親父が40年以上前に入手したビンテージ。これはリペアして乗るしかないと心にぐっと来ました

いやーほんとサーフィンて不思議なスポーツですね、溢れ出る感情が止まらない

40年前の親父はどんな気持ちでサーフィンをしていたか

このブログを書いている私はもうそろそろ40代、サーフィン歴も20年に達しようとしているところ。

埼玉に住んでいたので、家族で海に遊びに行くのが夏の定番の遊びでした。

新潟、山形、湘南あたりにミニバンの車で車中泊をしながら夏休みを過ごす、というのが夏の思い出

砂だらけになった足をどうやって乾かすか、釣ったタコはどうやって調理するか、潮の満干期がどれだけ速いか等などを教えてもらったのが記憶に蘇ります

ライトニングボルトサーフボード

そんな中でドはまりしたのがボディーボード。雨が降る前の日本海ではほんの少しだけ波が立つんですね

小学生の僕が波を滑るのに適したサイズは、今で言うところのひざ〜もも。頑張ってもも〜腰くらい。

それ以上大きい波では遊泳禁止になってしまうし、足がつかないところは危険なので母親に止められてしまっていたでしょう

幼少期のときに覚えた波に乗る楽しさ、海での楽しい時間が忘れられなくて、サーフィンを続けていると言っても言い過ぎではないですよねきっと

 

さて、その頃親父がよく言っていたセリフを今でも鮮明に覚えています

  • 「サーフィンは人生狂うからなあ」
  • 「埼玉から海に行くと6時間位掛かる、それでも楽しいから親友と海に行っていた」
  • 「新婚旅行のハワイでサーフボード買って、お母さんほっぽらかしてずっとサーフィンしてた」
  • 「周りにサーフィンのために仕事を辞めたやつがいっぱいいる」
  • 「昔からサーフィンに狂ってるやつってのはいる」
  • 「うまいって言うから一緒に行ったのに、そいつは陸サーファーだった」

などなど、サーフィンに関するエピソードは親父から聞かされる機会が多くありました。

まだ何も知らない小学生の僕にとって、サーフィンに興味を持つきっかけになったのは間違いないでしょう

その中でも僕の印象に残っている話はこれです

 

・爺ちゃんが27歳のときに死んで、そこからずっと働いてた。サーフィンも行かなくなった。

 

爺ちゃんが死んだのは僕が産まれる直前のことなので、たぶん親父が一番辛かった時だったと思うんですよね。

なんか親父のその気持ってすごい分かるんですよ。

 

子供を育てるってことは、人生の主役が自分ではなく、主役が子供になることだなって僕は思うんですよ。

主役の座を喜んで子供に譲り渡す、それが父親としての子育てなのかなと僕は思いますね。

藤原新也さんが「男は人生を歩むと自分の名前を忘れる時が来る」みたいなことを言ってたのですが、まさにそのことなのかなと

 

気づいてみれば、僕が今やってる遊びってのは、ほとんどが親父に教えてもらった遊びなんですよね。

サーフィン、釣り、ゲーム、水泳、キャンプ。40年前から仕事をしつつ、いろんな遊びをしていた親父って超人なんじゃないかと思いますよね

 

それでその遊び、僕も一通りやってきたので、次は自分の子供達に伝えるのが僕の世代の役目なのかなと。

もう自分の人生の主役は完全に子供たち。

 

  • 希望を託したい気持ち
  • 子供とはいえ別人格なので自分の人生を歩んでほしいと思う気持ち
  • 健やかに育っていってほしいと思う気持ち
  • 親の言うことなんか聞かなくていいんだよという気持ち
  • 何かあったら命を捨ててでも守りたいという気持ち

こういういろんな感情と気持ちを僕は子供に対して持っている。この気持ちは40年前の親父も同じように思っていたに間違いないなと波の上でひたすら考えていたんですよ。

 

僕の子供も、年に5回くらいは海に連れて行ってるけど、いつか一緒に波乗りできる日がきたらすごい嬉しいな

いや、来ないかも知れない。でもそれはそれでいいんですよ。子供とはいえ他人なんだから、それぞれ好きなことをすればいい。親にできることはきっと見守るだけ。

 

親父を見ていると、一気に萎んでしまって、もういいお爺ちゃんになってしまった。必然的に寿命は長くないことが分かる。

この前、親父に伝えたことがあります。

「これからは俺たちの世代で頑張るから、親父はもうゆっくり休んでてください」と。

 

今日40年前の親父のサーフボードに乗って、強く世代交代を意識しました。

時代は変わる、そして変わらないことだってある。

親父がサーフボードの上で見た水平線、海上で浴びる日光、海から見える陸、サーフィンを終えたあとの爽快感。

 

これからは俺の世代で頑張りますので、ゆっくり休んでてくださいな。

教えてもらった遊びはすべて次世代に引き継ぎます

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