⇨これまでの人生で買ってよかったもの一覧

大人になったら強烈に欲しいものがなくなってしまった。生産している方が楽しい【欲しいものがない】

「あれ欲しい!これ買って!あれもやりたい!これもやりたい!」

 

 

なんて言っていたのを思い出すきっかけとなったのは、3歳の娘の成長です。

彼女は、子供向け雑誌の広告に載っている、アイス屋さん、アンパンマンの病院セットのおもちゃをとにかく欲しがる。

きっと、アイス屋さんの帽子を着けた「働くお姉さん」が彼女の頭には想像でいっぱいで想像をするだけで楽しくなっているんだと思う。とても微笑ましいことだ。

 

想像を広げて解釈するためには、そういった類のおもちゃも必要なのかもしれない

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欲しいものがなくなった

僕だってそうだった。小学校の時はスーパーファミコンに夢中になったし、「新しいソフト」が喉から手が出るくらい欲しかった。おもちゃ屋さんに行ってはパッケージを眺め、カタログを穴があくまで眺めて、ドット絵の写す世界に「なんて綺麗な画面なんだろう」、「このキャラ使ってみたい!」なんていう想像を膨らませた。

 

しかし、もちろん欲しいものは簡単に手には入らなかった。兄弟も多くてお小遣いの予算が僕に回ってくることは稀で、誕生日にねだったり、おばあちゃんにねだったり、親戚の家に買ってくれと交渉しに行ったこともある。もちろん、全ては手に入らなかった。

 

高校生の時に時給650円でバイトを始めて、お金を貯めて欲しいものを買えるようになった。

(当時買ったのは7万円のターンテーブルと中古のレコード約50枚だ)

 

自衛隊や会社で働き始めてからは、欲しいものは何でも手が届くようになった。

 

昔の自分に、お金がある自分を見せたら大興奮だったと思う。まとわりついて、ありとあらゆるおもちゃをねだったかもしれない。

 

昔「欲しかったもの」は、残念ながら今「全て手に入る」。

しかし、そうなった今、猛烈に欲しいものがなくなってしまった。

 

昔はお金さえあれば、何でも買えて遊びたい放題だ!最高にハッピーだぜ!と思っていたのに、今では欲しいものがまったくない。

 

今積極的に買うものといえば、「時間を買えるもの」だったり、「元が取れるもの」だったり、「買ったら役に立ちそう」ないわゆる「打算的なもの」ばかりだ。

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役に立ちそう!元が取れる!時間が増える!とか一切関係なかった子供のときの「あれが欲しい!!!」っていう感覚がなくなってしまった。

 

自分の消費を振り返る

遊びという意味で、ここ10年で買ったものを振り返ってみる。

PCDJ

いわゆるDJのターンテーブル。これがあればパソコンと接続をしてDJプレイができる。

高校生の時から、音楽が趣味なので暇を見つけては練習していた。曲の組み合わせで自分だけの世界観を作れるから面白い

できた音楽はMixcloudにアップしたり、友達にあげていた。

サーフボード

ここ10年、何して遊んでた?と聞かれたら「サーフィンばっかやっていた」と答えるだろう。

遊びという枠をはるかに超えた信仰のようなもので、海に浸かるということはキリスト教徒にとっての「日曜日に教会に行く」のような感覚だ。

やりすぎて、おそらく人格まで変わった。

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サーフボード、実は新品で買ったことがあるのは2回だけ。自分のサーフィンスキルを板と重ね合わせてパフォーマンスをしていくのが僕は好きで、最初から「自分用」の板ってのはあまり魅力を感じない。

波という一瞬のキャンバスに、自分の一筆書きのマニューバを描き込むクリエイティブなスポーツだと思う。最高に楽しい。

 

パソコン

最近だと、マックブックエアーを買った。できることは無限大で、ブログ書いたり、音楽作ったり、プログラミングの学習したりできる。大人のおもちゃだと思うよ。10万以上するしね。

でも、パソコンあれば世界中に自分の考えを発信できるし、最高だよね。

 

変わったのは消費から生産

昔の自分には、余暇の過ごし方といえば「消費すること」が中心だった。

スーパーファミコンのソフトを買ったり、遊園地に行ったり。いわゆる「楽しませてもらう」のが基本的スタンスだったと思う。

 

がしかし、今の自分は「生産」がメインだと思う。音楽だってそうだし、サーフィンやブログだってそうだ。

自分の作った料理を写真を撮って、レシピを記事にして、見知らぬ誰かに発表する。そういう行動がすごく楽しい。

 

もちろんジャンルによると思うけど、生産ってのはお金がほとんどかからない。料理に関しては材料費だけ。ブログはパソコンが必要なくらい。サーフィンなんて浮力のある板状のものなら、畳でも木の棒でも何でもいい(サーフィンが生産的かという議論はおいておいて)

 

生産活動ってのは面白いもので、昔熱中してやっていたゲームと同じくらいかそれ以上に楽しい。

生産の楽しさを知ってしまったので、消費に興味が薄れていってしまったのかもしれない。

 

しかし、きっとそれは悪いことではないと思う。

 

生産の楽しさは無限大だ。お金もかからない。突き詰めるところまで前進あるのみだ。

お金は、場合によっては儲かる場合もある。

 

「欲しいものがないということは、現代社会において罪なのか?」と自問自答することがある。

 

いや、でもやっぱいいよ。

昔みたいに「あれが欲しいんじゃああああ!」という熱量は無くなったけど、今の状態も悪くはない。

 

振り返ってみれば、今の自分の方が好きだ。

 

参考 僕の欲しいものAmazon ほしい物リスト

 

ほんじゃーね!