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「100万回生きたねこ」の読書感想:絵本を贈ってプロポーズするのもありじゃないかなと思った。生まれ変わりの猫は何を思っているのか

 

100万回生きた猫と言う話をご存知でしょうか?

あらすじ

100万回も死んで、100万回も生きたねこがいました。

あるときは王様に飼われ、そしてまたあるときは船乗りに。
サーカスの手品使い、泥棒、おばあさん、女の子……

100万人の人が、その猫をかわいがり、100万人の人が、その猫が死んだときに泣きました。

だけど、ねこは1回も泣きませんでした。
ねこが好きなのは自分だけ、誰も愛することがなかったのです。

あるとき、ねこは誰にも飼われず、野良猫になりました。

ねこは100万回も生きた立派なトラ猫です。
メス猫たちはこぞって、ねこのお嫁さんになりたがります。

だけどそのなかの1ぴきだけ、ねこに見向きもしない白猫がいました。
そっけない態度をとる、その美しい猫に魅せられます。

なんとか興味を引こうとするうちに、2ひきのねこは共に過ごすように。

やがて子どもが生まれ、自分よりも大切な家族を持ちました。
100万回死んでも悲しくなかったねこは、はじめて愛することを知ります。

そして……愛する者を失う悲しみを知り、涙を流すのです。

朝になっても昼になっても夕方になっても夜になっても……猫は100万回も泣き続けました。
そして、とうとう白ねこの隣で動かなくなり、決して生き返ることはありませんでした。

 

100万回生きたねこの読書感想

この本を読んだ時に、これは大人になってしまった人のための本なんだなと思った。

 

猫は人間の気持ちなどお構いなく、好き勝手に生きているように見える。

その姿に魅了されてしまった人は、時に振り向いてくれない猫に対して憎しみさえも持つ時がある。

ある人は、純粋な愛情を捧げ、素直な心を捧げ、振り向かせようと必死になるが猫はそんなことは気にしない。

猫は誰でも「大嫌い」なのである。好き勝手生きてこそ、猫なのだ。

 

僕はある人からたくさんの本を教えていただき、その全てが好きだった。

100万回生きたねこはその中でも、最も好きになった本の一つだ。

 

この本の存在は小さい頃から知っていたし、読んだ覚えはあるのにも関わらず

大人になった私に渡された時、初めて読んだような感覚を覚えた。

 

話の内容はこうだ。

「100万回生きて、100万回死んだトラ猫の話。彼は、どの飼い主のことも愛さず、1つの人生を生き、また別の人生を生きることを繰り返すだけだった。あるとき、彼はのら猫になり自由だった、そして初めて自分から好きだと思える1匹の白ねこに出会い、愛するという気持ちの意味を知る。時が経ち、白ねこが死んでしまう。泣き続けたトラ猫は動かなくなり、生き返ることはなかった。」
 

 

実は、この話を最初読んだ時に好きになれなかった。

 

私の解釈はこうだ。

「トラ猫は白猫に会ってやっと心の底から愛する感情を知り、幸せな人生を送れたからやっと死ぬ事が出来た」
 
トラ猫の自分勝手さが拭いきれず、腑に落ちなかった。自分だけ愛を見つけたからって幸せに死ぬなんて、ずるい話だな!と思って、これに心底感動できる人の気が知れなかった。

 

しかし、やはりどこか引っかかる点があったのも事実だ。

 

トラ猫が人生を全うし、死ぬことができたりうゆうは何か?

なぜ、あの人が私にこの本を託したのか?

 

あの人の蒔いたタネが、私の中で育ってきた数年後、その心を知りたいとふと思い押入れを探した。

時が流れ環境が変わり、100万回生きたねこを成長した私が読み返した時に、一つ新たな解釈を見つけた。

 

『ある日 白いねこは ねこのとなりで しずかにうごかなくなっていました。 ねこは はじめてなきました。 夜になって 朝になって また夜になって 朝になって ねこは100万回もなきました朝になって 夜になって ある日のお昼に ねこはなきやみました。
 
ねこは 白いねこの となりで しずかに うごかなくなりました。』

 

 

 
そうか、ようやくわかった。100万回の涙は今まで通り過ぎた人たちのために泣いたんだろう。

白猫との出会いを通じ、愛するという事を知ったことで、今まで過ごしてきた100万の飼い主の愛の重みを理解できたのかもしれない。
 
 
トラ猫の流した100回の涙は白いねこと、前世で自分を愛してくれた100万人の飼い主に対しての感謝や後悔の涙。
そのように”愛”を理解し、心からの涙を流せたトラ猫はやっと生涯を終えることが出来たんだ。
 

私の中のトラ猫の言葉を思い出す。

 

「惚れたら負け」

「白猫に殺される」

「100万回生きるってのもありだな」

 

あの人はこの本をどう解釈していたのだろう。

あの人にとって、私は何匹目の飼い主なんだろうか。

 

そんなあの人に、私はこの言葉を正義を込めて送りたい。

「人は誰しも、自分から愛すことをしないと愛されることはない。」
 
私は猫の言葉が喋れない。しかし、私の知っている世の中ってのはそういうものなのである。

絵本でプロポーズするのも良いかもしれない

僕はこの本が子供の時から大好きだ。今までは自分が主人公のようなトラ猫でいるとずっと思ってきた。

時が経ち僕も大人になった。子供が生まれた。そして、自分の名前を忘れた。

 

今までは好き勝手生きてきて愛を受け取るだけだった。100万人の飼い主から愛をもらい続けるだけだった。

愛を与える側になった今が楽しくてしょうがない。自分の中の猫は死んだ。しかし、それでいいのだ。

 

もし、自分がもう一度プロポーズをするとしたら

 

「100万回生きたねこ」を渡して、将来の子供と一緒に読めたら嬉しいだろうな。

 

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